知る
  • Face book はじめました♪

    ついに!この度、八重瀬町観光公式Facebookが 立ち上がりました~~~(/^∀)/ワァーイ♪   今や世界中で2400万人以上の人が利用する Facebookで、ここ八重瀬町からも、 旬な情報をたくさんお届けしていきたいと思います!   「どこ?八重瀬」から、「ここ!八重瀬」へ。 そして、「おいでよ!八重瀬」に☆!   ぜひFacebookのページにも足を運んで いいね!してくださいね(゜∀^)b!     コチラからどうぞ♪⇒八重瀬町観光公…

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  • 港川漁港

      町内唯一の漁業集落である港川では、漁業組合が中心になってパヤオやソデイカ漁を中心に小型船による漁船漁業が営まれています。二十キロから三十キロ沖合いに設置されたパヤオでは、キハダやメバチなどのマグロが主に水揚げされ、本マグロやカジキなどの大物が釣れることあります。また、パヤオ以外では、解禁日なっている11月から翌年6月までの期間、ソデイカ漁も盛んに行われています。   港川漁港に古くから伝わる「石巻落とし漁法」 港川の漁師のほとんどは昔から伝わる石巻落とし漁法で漁を行ってい…

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  • 謝花昇(偉人)

    謝花昇 1865〜1908(慶応1〜明治41)行政官、社会運動家。 東風平間切東風平村に農家の長男として生まれた。勉学に秀で、後に県費で東京へ留学、主に農業について学んで大学を卒業して沖縄県庁へ入る。昇は役人としても数々の業績を挙げ、「東風平謝花」と称えられて県民の尊敬を集めた。 後に当時の沖縄県知事奈良原繁と対立した昇は県庁を辞職し、「沖縄倶楽部」を設立して、奈良原知事の更迭と沖縄への選挙権施行を求めていった。 昇の行動は「沖縄の自由民権運動」として後世に伝えられるも、運動は数々の妨害にあって…

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  • 汗水節の碑(記念碑)

    今なお歌い継がれる教訓歌 「汗水節」は働く喜びを歌い、社会奉仕を説く沖縄の代表的な教訓歌です。 昭和3(1929)年に八重瀬町字仲座出身の仲本稔さんが歌詞、「えんどうの花」を生み出した宮良長包さんによって作曲されました。 当時、沖縄県は昭和天皇の即位を記念した事業の一環として勤倹貯蓄の論文、民謡、童話を県民から募集するというものがありました。 琉歌をたしなんでいた仲本さんはこれに応募し、民謡の部で原稿3等に入選しました。 民謡の部では1等、2等の該当作はなく、「勤倹貯蓄の奨」が3等に当選し当時県…

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  • 富盛の石彫大獅子(沖縄県指定有形民俗文化財)

    八重瀬岳を静かに見つめる、古代の獅子 石獅子はジリグスクと呼ばれるグスクの中にあり、火除け(火返し)として尚貞王21(1689)年に設置されたもので、フィーザン(火山)といわれる八重瀬岳に向かっています。高さは141.2㎝、全長175.8㎝を測り、村落獅子として最大最古の石獅子です。   ※石獅子設置の由来 当時村中に不審火が多いことで困っていた富盛村の住民が、久米村の蔡応瑞(大田親雲上)に風水を占ってもらった結果、八重瀬岳が原因だと判明されました。その対処として山に向かって獅子を建て…

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  • ようざん窯

    緑豊かなロケーションの広がる中、人知れず本物は創られる! 国道507号線を南に下りちょうど国道331号線と交わる場所、南側の緑地帯に人知れず、その窯はある。一度火入れがされると一週間は火を絶やしてはならない。その間、窯は開けることもできず、ただひたすら温度計と炎をにらみ合いながら、燃え盛る炎を操るのだ。あたかも炎は生命を宿した竜のごとく、窯の陶器を焼き締めていく。「一気にあげすぎても駄目。低すぎてもいいのは創れない。そこが腕の見せ所なんですよ」と屈託のない笑顔で垣花氏は言う。焼き上げた後、そこか…

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  • ぐしちゃんいも

    農家と企業が開発した焼酎で足腰の強い産地づくり 八重瀬町の南西部にある安里、仲座、与座は、芋の栽培に適した土壌を有し、県内でも有数の甘藷地域です。 芋掘り体験や芋料理の開発など地域と人々と供に活発な活動を行っており、組合を立ち上げた会長の安里美津男さんは、「生産者と地域が一体となっているのを実感できるようになった」と組合の活動に手ごたえを感じています。   同組合が実施する芋掘り体験は、平成20年には3ヶ月間で7千人が参加するほど地元で人気のイベントになっています。また、近年、町内のヘ…

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  • 港川フィッシャー遺跡

    1万8千年前の人類 港川フィッシャー遺跡は旧石器時代の遺跡で、1968年に那覇市在住の故大山盛保氏によって発見されました。 大山氏は当時購入した粟石の中に動物の化石が混在しているのを見つけ、人間の化石も見つかるのではないかと粟石の産出地である同遺跡で発掘をおこない、人骨化石を発見しました。 その後1968年から1969年にかけて東京大学の鈴木尚氏を中心とする沖縄洪積世人類調査団を組織し、大山氏や地元研究者等と共に発掘調査をおこなったが人骨は発見されませんでした。 しかし、調査終了後に大山氏は個人…

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