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「
奈
な
ら
良
原
は
ら
が
い
る
か
ぎ
り、
沖
縄
の
人
々
は
ゆ
た
か
に
な
れ
な
い!」
そ
う
思
っ
た
昇
のぼる
は、
東
京
へ
行
き、
明
治
政
府
の
板
い
た
が
き
垣
退
た
い
す
け
助
という
大
だ
い
じ
ん
臣
に会いました。
「
大
だ
い
じ
ん
臣
聞
い
て
く
だ
さ
い。
奈
な
ら
良
原
は
ら
知
ち
じ
事
は
沖
縄
で
や
り
た
い
ほ
う
だ
い
し
て、
沖
縄
県
民
を
苦
し
め
て
い
ま
す。
奈
な
ら
良
原
は
ら
がいるかぎり、沖縄県民は
貧
ま
ず
しいままです」
「よし、
わかった。すぐに
奈
な
ら
良
原
は
ら
知
ち
じ
事
をやめさせよう」
と
板
い
た
が
き
垣
退
た
い
す
け
助
は約束しました。
「これで県民も救われる」
喜んで、
沖縄に帰ったのもつかのま、
そのすぐ
後
あ
と
に、
板
い
た
が
き
垣
大
だ
い
じ
ん
臣
が
大
だ
い
じ
ん
臣
を
や
め
る
こ
と
に
な
っ
た
の
で、
こ
の
話
はなくなってしまいました。
板垣退助/
(1837年~1919年)
土佐
(高知県)
出身の政治家。
立志社をつくり自由民権運動を指導しました。
1881
(
明
治
14)
年
自
由
党
を
結
成。
明
治
31年
大
隈
重
信
と
日
本
最
初の政党内閣を組織、内務大臣となりました。