-序章

 

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での激戦後、米軍に占領されました。当時の戦没者は、東風平地区が約4,000人、具志

頭地区が約2,300人で、両村ともに5割近い犠牲者を出し、終戦を迎えました。終戦後

も東風平村では残された弾薬の撤去作業などもあり、住民は周辺村への仮住まいを余儀

なくされ帰村が遅れました。昭和20年代後半から30年代にかけて、具志頭村内とその

周辺に米軍基地が建設されたため、住民は土地接収反対の抗議や陳情を行いましたが、

米軍は聞き入れず、その為耕地を失い生活の糧を失った住民の中には、ブラジル等に移

民として旅立つ者が少なくありませんでした。 

 

 本土復帰を迎え、道路や生活、農業基盤が整備されていく中、那覇市のベッドタウン

として人口が増加した東風平村は、昭和54年町政を施行し、田園都市としての町づく

りが進められました。具志頭村は、1973年(昭和48年)以降、サトウキビを始め、大

根・葉タバコ・サヤインゲン、花卉園芸、養豚が盛んになり、また唯一の漁港がある港

川では、パヤオの整備で成果を挙げてきました。 

  

平成18年1月1日、旧東風平町・旧具志頭村が合併し、八重瀬町が誕生しました。 

 

参考『八重瀬町の文化財』    八重瀬町教育委員会 

『八重瀬町農村振興基本計画』八重瀬町農業土木課